夏に仕事してた山小屋からの写真を久しぶりにみてる
この雲すごい
魔法みたいにきれい
こんな自然の中で毎日暮らしていた、毎日毎日飽きることもない自然でした
わくわく、わくわくが半端なくすることが浮かんできた
あっ私これがやってみたいかも
もしかしたらまた気持ちは変わるかもしれない、でもこれなら自然にやってみたい、がんばってみたいって思えた
それまでは、私ができる技術を生かすことなのかなって思ってた、でもなんだかいつも後回しにしてしまう。やった方がいいのにと思ってもどうも乗らない。
そんな自分をよく思わない自分も出てきてた、怠け者だなとか、自分のためなのに、とか
でもそれはメインではなかったみたい
だってこっちの方がわくわくするもの、これの方がやってみたいもの
そう、私は自然に携わることがしてみたい
私が経験して、しあわせになれたことをして、人がしあわせになれたらいいなって思うことをしてみたいと思った
お蔭で生きることがこんなに素晴らしいことだと気付けたから
ふと振り返ってみると、私ちゃんとそういう勉強を自然としてた、そういう自然を知り尽くしたほんとにすごい生き方をしてる人たちが私の恩師だったりする
そう、本気で自分らしく生きようって決めた時から、巡り合ってる
自然療法のアシスタントだったり、本当に辛かったときに救ってくれた心のヒーリングの先生だったり、いましている国立公園での森林保護のお仕事だったり、こどもの心を大切にした冒険教育のお手伝いをさせてもらったり、、
よく考えてみたらそれは動いたらあっちから迎え入れてくれてた
そしてそこで出会う様々な人たちとの縁
もう私はその中に入ってるんだ
なんだ全然気づかなかった、私がそれを仕事にしたいほどやってみたいと思うだなんて
でも角度を変えて、自分の心がより楽しめて癒されるものへ変えていく
全部いろんな人が見せてくれてた
ありがたいなー
そんな風に思ったら、今までかたくなにできなかったことも自然とやりたくなってきた
力みすぎてたみたい、がんばらないとできない、やらなくちゃいけない、、と自分を焦らせていたみたい
なんか乗らないのはそれが正直だったんだ、そこを無理やりしなくていいんだ、
でもその間好きなことをできるだけするっていうことは忘れてはいけなくて、
そうすると、動くとやっぱり見つかるんだ、気づけるんだと思った
だから、いま一番したいことをする
時々それがわからなくなるけれど、そういうときは頭で考えているとき
でも、時々私はこんな風に考える、そうするとそれがよりわかってくる
明日もし命が終わるとしたら、なにがしたい?
そうすると本当にしたいことがより見えてくる
悩む時間、わからない時間があるのはそれはとても自然なこと
それを焦ったり、無理やり答えを出したりもうしなくていいんだ
そうしよう、ほっとした